自分が仕事で独立するのは無理だと思っていた

夫の転勤で初めて九州を出て、縁もゆかりもない流山へ転入された川口紗知さん。現在は、フリーランスPRとして活躍しています。

あるテレビCMがきっかけ

中学生の時、ラジオに曲リクエストのはがきをせっせと送っていました。どうやったらラジオで曲をかけてもらえるのか、工夫したことを覚えています。また、テレビで見た車のCMが素晴らしく、衝撃を受け、広告の道に進もうと決めました。

学生時代にコピーライター養成講座で学びましたが、言葉を削り出す職人的な仕事よりも、どうやったら人に見てもらえるか、読んでもらえるか、反応はどうか、という双方向なコミュニケーションに興味があると気づき、広告会社の営業として働き始めました。 広告会社はやりがいはありましたが、激務が続きダウンしてしまい、結婚、出産のタイミングで退職することに。1年間専業主婦をしている間に、再び働きたい気持ちがふつふつと湧いてきましたが、その時点では独立するという考えはありませんでした。

子育てに理解のある職場を探していたところ、大学の広報の募集があり採用。大学案内のパンフレットを作成したり、オープンキャンパスの企画、運営などを担当しました。前職の広告会社と違って、部門を横断して情報をまとめていく楽しさと難しさを経験できました。オープンキャンパスで高校生たちが大学内を楽しく見て回る姿を見ると、この仕事をやって良かったなと感じるのと同時に、子育てとの両立は綱渡りのような日々。夫は仕事が多忙で帰りが遅く、両親は離れた場所に住んでいるため、子育てで頼れる人が身近にいなくて、ワンオペで保育園、ファミリーサポートセンター、病児保育などをやりくりしていました。

そんな時に、夫の転勤が決まりました。

流山に住み、フリーランスに

生まれて初めて九州を出ることになり、関東や首都圏でどこに住めばいいのかと考えていた時に、流山に住む友人のすすめで流山おおたかの森を訪問。ちょうど駅前でイベントをやっている日で、緑が美しく子どももたくさんいる様子に流山に住もうと決めました。

生活が落ち着くまでは専業主婦をしていましたが、またもや働きたい気持ちが湧いてきたのです。でも、就職できたとしても夫の転勤があればまたリセットされてしまう。だから就職は難しいのではないか。 この時点でも自分が独立するとは思っていなかったのですが、たまたま、自分のSNSで「広報やPRのご相談を受けます」と投稿したところ、想定以上に反響がありました。1回限りの相談のつもりが、ぜひ続けてほしいと要望をいただき、実は、この時の方々がフリーランスとなった今でもお客さまとしてお仕事で続いています。人とのご縁がその時限りではなく続いていくのが私の特徴かもしれません。ありがたいことに新規のお客さまを開拓しなくても、前職よりも時間的余裕を持ちながら安定して仕事を続けられていて、私はお客さまに恵まれています。

舞台裏で支える存在として

友人から、「流山にはシェアサテライトオフィス「Trist」を運営している尾崎さんがいるよ。会ってみたらいいんじゃない?」と教えてもらい、市主催の女性向け創業スクールに通うことにしました。流山に住み始めて専業主婦だった時も楽しかったのですが、子どもの話だけではなく、これからの自分のことを熱く語れる流山のつながりが欲しかったのもあります。

流山には良い意味で独特な、面白い方が多いですよね。私は自分に特徴的なコンテンツがない、自分自身にやりたいことがないことを悩んでいたのですが、特徴を武器にして前へ出たい人がいるなら、それを後ろでサポートしていくのが好きだし強みだと気づくことができました。フリーランスPRと言っていますが、PRだけではなく会話の中から「この人はこんなことがしたいのだな」を見つけるような、コンサルティング、コーチングなどの要素もあり、実は自分の職業を一言で説明するのが難しいのです。人に見てもらうには、読んでもらうには、という視点については、中学のはがきリクエスト時代から無意識のうちにスキルを積み上げてきたのかもしれません。自分のスキルを活かして求められることに真摯に応えていきたいと思っています。

これまで、会社員、大学職員、専業主婦、フリーランスと様々な経験をしてきましたが、どれも今の仕事にとても役に立っています。大変なことや辛いことがあっても、「ネタとして面白いかも!」と思えることも強みかもしれません。

そして今後は、PRだけではなく別の性質の多軸も持つべく、情報収集中です。

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