若松文さんは、NPO法人コミュネット流山のゼネラルマネージャーを務め、2022年3月まで利根運河交流館の館長、4月から東部公民館の館長として活動しています。過去にも、流山だけでなく海外で数々の地域活動に努めてきた、3人のお子さんを持つお母さんです。
1995年夫の仕事によるタイのバンコクへの転居で、大学院での生涯学習の研究を続けられなくなった文さんは、研究を実生活で活かそうと気持ちを切り替えます。文さんは第1子をバンコクで出産しましたが、初産によるマタニティブルーになりかけます。そんな文さんを、日本人グループの育児サークルのメンバーが気にかけてくれたことから、文さんの地域ボランティア活動は始まります。
赤ちゃんを抱えながら育児サークルの運営に積極的にかかわってきた文さんは、1998年第2子の妊娠7か月めで流山に引っ越すことになります。バンコクでの経験を活かし幼稚園のPTA活動などに努めてきましたが、2002年第3子を妊娠、出産後退院1週間めでタイ転勤が決まります。第3子の生後3か月めに再びタイへと戻ることになりました。
流山から再びバンコクへ
4年ぶりにバンコクに戻った文さんは、さらに積極的に活動を進めていきます。
「海外では日本の法律は適用されないので、海外に暮らす日本人の子どもたちには、日本の義務教育を受ける権利は保障されません。日本人学校は私立学校ですから、日本人だからといって、誰でも受け入れてもらえるわけではありません。
上の子が日本人学校に入ったことで学校との関わりができ、日本人学校の特別支援学級でのサポート活動を始め、学校と協力して介助ボランティア制度を立ち上げました。
その活動と並行して、バンコク日本人会の育児サークルと連携し、保護者を対象とした発達相談会やセミナーや講演、日本人幼稚園の先生方への研修なども企画しました。
外国語では日本語の発達の相談が難しく、日本に帰国して相談しようとしても、市町村の相談窓口は住民票がないので利用できません。日本の専門医の場合は、予約が半年から1年待ちはざらです。それでは、子どもたちが療育を始める時期が遅れてしまい、悩みを抱える親にとっては、かなり深刻な問題となります。」
海外駐在員は3年から5年で人が入れ替わります。文さんは現地の日本人会と連携することで、一時的な活動ではなく地域に根差すサークル運営を目指しました。
その活動の結果、文さんが運営に関わった、バンコクの発達に問題を抱える親子のためのサークルは、2022年で25年目を迎え、現在も活動は続いています。
そしてまた、流山へ
2006年、文さんの家族は再び流山に戻ります。
「流山に戻ることを決めたのは、実は、『日本に帰ったら、また流山に住みたい。』とバンコクで流山を思い続けた子どもたちを見てきたからです。
子どもたちにとって流山がふるさとなんだな、と感慨にふけると同時に、心の支えとなるまちの良さって何なのか知りたいと研究心も芽生えまして(笑)。」
日本に帰ってきた文さんは、地域に子どもたちを見守る人たちがいて、子どもたちが安心して過ごせる場所があることが、まちづくりでは大事なことなのではと考えました。
子どもの頃は、自分から親の方へ走りよって来ますが、思春期になってくると、親から離れ、逆に親がこどもの後を追いかけるようになっていくようになります。親だけでは、子どもたちを見守ることが難しくなってくるからです。
「帰国した翌春、第三子が江戸川台幼稚園に入園しました。末っ子の幼稚園入学で、二度目のPTA副会長と会長を務めました。二度目のバンコク時代に、グレーゾーンの子どもたちへのサポートをしてきた経験を生かし、幼稚園では、園とPTAが協力して、どの子も楽しく学べる環境づくりに取り組みました。
また、江戸川台幼稚園創立50周年のお祝いの会を一緒に運営したメンバーたちと、子どもたちが地域でいきいきと育つよう『のびのびサークル』を立ち上げました。幼稚園が地域と連携して、こどもたちがお店を運営する「こどもの庭マルシェ」を開催したり、公民館での料理教室や福祉会館でのハロウィンやクリスマスの季節イベントをしたり、親子で楽しめる活動に取り組みました。どの活動も、発達支援の必要な子どもたちも一緒に楽しめるようなアイデアを取り入れたプログラムになっています。コロナ禍が続いている今は、サークル活動を休止していますが、できるだけ早く再開したいと思っています。
北部地区は、地域の親子サークルや児童館の活動に参加した経験のある方が多く、こどもたちと一緒に楽しみながらサポートに入ってくれる保護者や、まちづくりに熱心な住民の方も多かったので、いま思えはとても恵まれていた環境でした。
その頃、一緒に幼稚園の庭木の剪定をしたのをきっかけにNPO法人コミュネット流山とはつながり、北部公民館で副館長として働くことになりました。2012年には、流山市の教育委員になります。」
2016年教育委員の任期中に、今度はニューヨークへの赴任が決まります。 (つづく)