「正直どう受け止めていいのかわからなくなって、産後に子どもの状態を知った時は泣いてばかりいました。」
2022年5月笠井家に第2子が誕生しました。うまれたのは、21トリソミーのお子さんでした。
「出産前には自分の子どもがこのようにうまれてくることを、まったく想像していませんでした。
出産後、息子は一過性多呼吸ですぐNICU(新生児集中管理室)に入りました。うまれてすぐに会えないだけでも傷心していたわたしにとって、出産から5日経ちはじめて息子の状態を医師から聞かされた時には、あまりにもショックが強く、それからしばらくは何をしていても涙が出る毎日で、その頃の記憶はほぼありません。」
笠井さんは出産まで学校で勤務していたので、同じような21トリソミーの児童と接する機会はあったようです。しかし、21トリソミーに対して深い知識を持ってはいませんでした。
2歳の娘を育ててきた経験とは異なる子育てがわたしにできるのか、子どもの将来はどうなるのか。歩けるのか、話せるのか。病気や寿命は。などなど、子どものことを考えれば考えるほど、不安が次々と笠井さんに押し寄せてきたようです。
不安に押しつぶされそうになるなか、笠井さん夫婦はまず、お互い正直に話しあうことにしました。
いまの想いを正直に伝え合う
「夫とたくさん話しあうなかで、いま思っていることは正直に、不安なことは言葉にして、お互い伝え合うことにしよう、との決め事をつくりました。無理していまを乗り越えよう、受け入れようとしたりせず、お互いショックだということをまず認め合うことからはじめよう、と約束もしました。
だからというわけではありませんが、娘の前でもよく泣いてしまったりもしていました。でも、まだまだ幼い娘を見るたびに『あ、ちゃんと生活しなきゃ』と思いなおせる機会にもなり、何よりも娘の笑顔は、わたしたち夫婦を笑顔にしてくれました。
娘の存在で、本当にわたしたちは救われました。」
笠井さんは、息子さんが入院しているあいだは『検索魔』になっていた、と言います。
「同じ経験をした方々の経験談をインスタグラムやブログなどで、とにかくたくさん読みあさりました。調べていくなかで、21トリソミーという特徴を持つ子たちも、ほかの子どもたちとおなじように、成長の度合い、性格、個々に持っているものも違うこと、それぞれが親の遺伝子をしっかり受け継いでいることを知りました。であれば、ほかの子どもとも変わらないし、先を案じ過ぎてもしょうがない、とも思えるようになってきました。
ネット検索をしつづけるなかで、すこし息子より先輩の21トリソミーの子どもたちが笑っている写真を見つけるたびに、心が救われる思いにもなりました。」
笠井さんは、流山に住んでいて同じような経験した方々に直接お会いしお話できる機会にも恵まれ、出産から約1ヶ月経ち息子さんが退院する頃には、以前より夫婦ともに気持ちも明るくなり、ずいぶんと前向きになってきたようです。
隠さない、理解してもらう
「息子が退院した頃には、まわりの友人にも息子のことをすこしずつ話せるようになってきました。たくさんの友だちが我が家に息子をだっこするために遊びに来てくれました。息子のことを隠したりするのではなく、たくさん知って理解してもらうことで、困ったことがある時にはまわりのみんなに助けてもらえたらうれしいなと思っています。
息子には、いままでわたしが知らなかったあたらしい世界を見せてもらっています。息子のおかげで、たくさんの出会いにも恵まれました。」
笠井さん夫婦は日々の暮らしのなかで、娘さんや息子さんから多くの学びを得ながら、失敗を繰り返し、反省し、考えを拡げたり、深めたりすることで、ゆっくりと親としても成長できているように感じているようです。
「これから先もまた悩んだり、答えが見つからず立ち止まることもあるとは思いますが、その時はその時の自分に任せて、いまは目の前の可愛い我が子の子育てを存分に楽しみたいと思っています。」
「流山には、本当の意味でのインクルーシブ教育が進むまちになってほしいと思っています。
教育に携わる者としてわたし自身も、同じ境遇でさまざまな問題を乗り越えようとしている親たちや子どもたちのためにできることや、いまの仕組みの中でもできることなどを学んで取り組んでいきたいです。
ハンディを持っている方だけでなく、多様な方々が暮らしやすいまちになっていくことは、将来自分たちが歳をとった時にも住みやすいまちへとつながっていくと思います。
これからも流山というまちには期待していますし、わたしたち自身もできることをすこしずつでも前向きに進めていければと思っています。」
母、父になったことで、
あたらしい自分に出会った。あたらしい能力が開花した。
そんな、あなたの『#親だって成長してる』エピソードを教えてください。