フラダンス講師であり、現在自身でスタジオも運営している小林潤子さんは、庭のある一軒家で、目の前には畑や池もある環境で幼少期を過ごしました。結婚後、夫婦で自然が好きで、海と砂浜が広がるお台場にお住まいでしたが、週末になると、ドライブがてら、大好きな動物や自然を求め、毎週のように千葉エリアへ出かけていたようです。
「お互い一軒家で育ち、憧れもありました。一方、夫婦とも勤務先が都内だったこともあり、通勤できる距離で、転入してきた人たちを受け入れてくれるような新しい街を何となく探し始めました。たまたま、遊びに行っていた千葉で物件を探していたところ、流山にたどり着きました。
流山は、友人が住んでいるので、名前は知っていましたが、都心からは遠いイメージでした。でも、見に行ってみたら、都内へのアクセスも抜群で、高速のICもすぐで、尚且つ洗練された雰囲気に、夫婦そろって魅了されてしまいました。」
それから素敵な物件にも出会った潤子さんご家族は、2019年の夏、流山に居を構えることに決めました。探し始めてから半年足らずの決断でした。引っ越した後、「学生時代の友人たちが皆、柏・我孫子など、流山近郊に住んでいるので、みんな多忙の中、一日中空けられなくても、今日、今からでも会えるようになり、私にとって、大きな潤いとなりました。」
自然を愛するフラダンス(フラ)との出会い
潤子さんは6歳からモダンバレエをやっていたこともあって、夢はバレエの先生になることでした。学業や就職で中断することはあっても、踊ることも見ることも大好きな日々。ある日、仕事の癒しに喫茶店での週末ライブを観に行った時のことです。そこで見たフラに、「私もフラの先生になる!」と思ったそうです。
そして、フラとタヒチアンダンスを習い始め、仕事と両立しながら、年間70~80ステージ立つ、振り返れば超ハードですが、とても有意義な日々を過ごしました。
「ハワイの人々にとって『雨や霧は、その花をより美しく、より香り高くしてくれるもの』です。ひっそりと身近に咲く小花でさえ、恋人に例え、美しいラブソングにしてしまいます。『潤子ちゃん、見てごらん。雨が降って、葉っぱやお花がとっても綺麗ね。』っと教えてくれた大好きな祖母と同じ感覚を持っている!と、感銘を受け、陶酔していきました。」
その後、ハワイのダンサーたちと全国ツアーを回ったとき、クムフラ(フラ家元)であるエレン・カスティーロに出会いました。そのフラは後光が射して見えるほど衝撃的な美しさだったそうです。何年越しかで教えを乞うことを許され、日本の教室を卒業し、潤子さんは何度も単身ハワイに修行に行く生活が始まりました。
そして、数年後、エレン先生のフラを継承したクムフラ、ダルシー・モニーズにより日本でそのフラを教える許可を得ました。その後、フラに専念するため、勤務先を退職し、ほどなくして、今のご主人と結婚、そして出産。
「息子は、背中スイッチのある、元気すぎる赤ちゃんでした。お弁当を買って、子育て支援施設(あっぴい台場)に駆け込む日々。フラのことより、お昼寝もしない息子をどう疲れさせるかで手一杯でした。そんな中、あっぴい台場のママさんやスタッフさんたちから、『ここでフラを教えて!』 と言っていただき、様々なサポートの元、月一回のフラダンス講座が始まりました。そして、あっぴい台場さんや台場区民センターなどでフラを教える活動が徐々に広まっていき、今では、港区芝に専用スタジオを持ち、流山平和台スターシャイン、柏の葉チコルでも教えています。
母である自分が体調を崩しても、子育ては休むことができません。フラを教えることで、生徒さんであるママたちからも助けられ、「完璧主義」から「できること主義」に方向転換することができ、育児も人生も楽しめるようになった気がします。
自分の時間が恐ろしいほど無くなったことは大変でしたが、私を唯一無二の存在として求め続けてくれる息子を想い、揺るぎない愛情と共にフラを踊ることで、私のフラの表現力が格段に上がったことは、息子のおかげに他なりません。今となっては、流山でも新しい友達や仲間ができ、母より友達、母より野球ですが、新しい街で生き生きと逞しく育つ息子を見ては、『それでいいのよ』っと、嬉しくもさみしい日々です。
昨年、私もクムフラの称号を頂きましたが、より厳しい修行が始まったとも言えます。ハワイ校のレッスンを毎週一緒に受けている生徒さんたちの為にも、学びを続けて、身近な自然・文化・伝統の大切さと魅力をしっかり守り伝えていきたいと思います。」
コミュニティに飛び込んでいく
子供のころ、商店街で育った潤子さんは、街を盛り上げる活動をすることが当たり前でした。自分の思う方向性と合えば、できることに限りはあるけれど、街のために何かやっていきたいと思っているようです。
「知人の少ない流山に住むにあたって、住居を購入したハウスメーカーの担当者さんから、流山で活動されている方々を紹介して頂きました。そのご縁から広がって、ボーイスカウト活動、少年野球、テニスなど、地域の皆さまに支えられて息子も私たちもコロナ禍でも楽しくのびのび暮らしています。
特にボーイスカウト活動では、住んでいる周辺エリアだけでなく、流山の自然を親子で満喫しています。転入後に街の人たちとつなぐサポートをして頂いたおかげで、ずっと前から流山で暮らしているような居心地の良さを感じています。
流山に引っ越しが終わるまで港区から、流山市主催の女性向け創業スクールにも通っていました。『まだ市民ではないけど参加してもいいですか?』と伺ったら、『ぜひ』と歓迎してくださり、参加できることになりました。
スクールでは、さまざまな思いを持ってこれからの流山での暮らしを考える女性たちに出会い、自分から行動していくことで、新たなつながりも増えました。
仕事で人事部門にいたこともあり、国家資格キャリアコンサルタントでもあります。流山に引っ越したことで、キャリアコンサルタントの師匠たちとも近所になりました。人事コンサルタントとして多くの書籍も執筆し、とても優秀で優しい師匠たちと、キャリアをより楽しく、身近に、誰もが考えられるワークショップなどを準備中です。混沌とする世の中だからこそ、皆さんお一人お一人が本当に大切にしたいことである『内的キャリア』に気づき、それによって、お互いを尊重できる街づくりのお手伝いができればと思います。
自然というと、山や高原などの壮大な緑を想像されるかもしれません。でも、私にとって、毎日の暮らしのなかで、散歩途中に道端で見られる街路樹や草花も自然の大切な一部です。そのひとつひとつに愛おしさを感じ、日々、癒されています。
これからは、フラや街での活動を通じて、流山の残された自然の貴重さ、大切さを伝え、私たちの子供たちに残してあげたい、それが私の願いです。」