安芸さん

流山からJリーグを目指す①

株式会社流山FC代表取締役兼総監督の安芸銀治さん。5歳からサッカーを始め、Jリーグ、アイルランドリーグ、社会人リーグに挑戦する中で、サッカークラブを経営するという新しい夢を見つけました。
「10年以内にJリーグ参入を目指す」という大きな夢に向かって邁進するチャレンジャーにお話を聞きました。

サッカーの楽しさと厳しさと

5歳からサッカーを始めましたが、スポーツは得意で好きだったので、得点して評価されるのが楽しかったです。バスケットボールもやっていたのですが、小学4年生のときにサッカー一本に絞りました。自分が所属していたクラブチームが県大会で優勝し、最優秀選手に選ばれたこともありました。
その後、高校時代も1年生からトップチームに入ることができ、3年生では背番号10番でした。トップレベルの環境で鍛錬したいと、大学はサッカーの有名校へ。そこは、各地域のトップ選手が集まっていました。初めて一番ではない経験をして、このままでは自分は生き残っていけないと、練習を重ねると同時に試合のチャンスがあればとにかく自分から手を挙げて参加していました。その甲斐もあって、2年の途中からトップチームでプレーすることができるようになりました。試合でスタメン出場をしましたが、得点につながる結果を残せず、自分の限界も見えた気がして、ユニフォームを着ようとするだけで気持ち悪くなったりと、精神的に追い込まれました。
そこで、自分の基盤をもう一度しっかりしようと、筋トレやメンタルに向き合いながら、4年生の時にトップチームで副キャプテンとして戻ることができました。副キャプテンは、人間的に成長できる経験でした。

プロになりたい!

大学を卒業するとき、どこからもオファーが来ませんでした。それでも、Jリーグにチャレンジしたいと大学コーチに掛け合い、ブラウブリッツ秋田でプレーすることになりました。ケガをしてシーズンが終わってしまったり、自分と同じポジションの選手は活躍しているのにと焦りながらも結果を残せないまま、2年で契約は終了。その日は悔しくて泣きましたが、ヨーロッパでプレーするのが夢だったのだと切り替え、アイルランドに行くことに決めました。英語も堪能ではない、特にコネクションもない中で、「なぜアイルランドに行くのだ?」と父とケンカになりましたが、結果を出せば道は開けると思いました。
アイルランド2週間の滞在中に、語学学校、仕事、サッカーチームを決めなければいけません。2週間集中して様々なところへ話に行った結果、社会人リーグでプレーすることが叶いました。

②へつづく

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