NAGAREYAMA F.C. 寺内大登さん
20年サッカーボールとともに
8歳からサッカーを始めました。もともと運動は好きでしたし、サッカーをすることが楽しくて、サッカーボールに触れない日はないくらいにサッカー三昧な日々でした。
ただ、選抜メンバーに選ばれることはなく、目立てていませんでした。大学3年まで続けた一部リーグから二部に降格になったタイミングで環境を変えなければと、これまでずっと応援してくれた母へも形を残さなくてはと、ドイツに行くことにしました。
在学中に海外でプレーするケースが大学では初だったらしく、先生方も応援してくださいました。通信教育やメールでのやり取り、帰国した際に試験を受けるなど、柔軟な対応をしてくれたのです。友人も渡独のための資金を募金で集めてくれて、周りの方々に助けられました。
海外経験は自分を変えました
当然ながら、自分の経歴は海外から見ればゼロです。自分で何とかしなければいけない環境に身を置くことになりました。言葉がしゃべれないと、チームでのコミュニケーションができません。そのせいもあり、自分にボールが回ってこないという経験もしました。そこで、語学の勉強を毎日8,9時間行い、半年後にはドイツ語が聞き取れるように、1年後にはしゃべれるようになりました。
そこで、日本人がいない地域でプレーしてみたい、自分の行きたいチームには自分からコンタクトしたいと、ルクセンブルクに行くことにしました。ドイツもルクセンブルクも契約交渉は手伝ってもらいながら自分でもやりました。
日本にいた頃は、ここまで自分で動く性格ではなかったと思います。ドイツ語を勉強することで日本語や英語の学びもあったり、他の分野にも興味が出てきて本を読んだりと、感性も磨かれたと思います。
自分やチームを知ってもらうために発信
自分の怪我やビザの期限などもあり、日本に帰国したときに、流山の社会人サッカーチームNAGAREYAMA F.C.代表の安芸さんと出会いました。安芸さんの熱さやビジョンに惹かれ、サッカー面だけではなく人間的にも成長できるのではと感じ、NAGAREYAMA F.C.に加わることにしました。
選手兼練習メニューを組むコーチとして、仕事もして地域活動もする。両立は大変ですが、サッカーの技術、海外での経験、怪我が多くてプレーできなかった気持ちなど、自分のこと、チームのことを知ってもらいたいと、SNSを使って発信をしています。発信を続けると、見てくれている人がいて、応援してくれているという実感があります。ユニフォームの10番は、ピッチ内だけでなく、ピッチ外も含めてチームを引っ張っていく存在である為に、背負わせて頂いてます。
②に続く